プラダに買収されたヴェルサーチェは、そのニュースが公表される約1カ月前、およそ30年にわたってチーフ・クリエイティブ・ディレクターを務めたドナテラ・ヴェルサーチェの退任を発表した。
そして、ドナテラは2025年4月にチーフ・ブランド・アンバサダーに就任。Miu Miu(ミュウミュウ)のデザイン・ディレクターだったダリオ・ヴィターレが、新たなチーフ・クリエイティブ・オフィサーとなった。
ドナテラが慈善活動を主導する立場でブランドに残ることは、今後もそのファッションにおいてヴェルサーチェの伝統と遺産が尊重され、受け継がれていくことを意味するものだろう。
カプリ・ホールディングスからプラダの傘下に移ることになったヴェルサーチェを創設し、世界的なブランドに築きあげたヴェルサーチェ一家が築いてきたブランドの歴史を、振り返ってみたい。
ヴェルサーチェの歴史:ファミリー・ビジネス
ジャンニ・ヴェルサーチェは1972年、Genny(ジェニー)、Complice(コンプリチェ)、Callaghan(カラハン)などのブランドを所有していた実業家、アルナルド・ジロンベッリのもとでコレクションを手がけるため、ミラノに移り住んだ。
そのジロンベッリ家のサポートを受け、ジャンニが自身初のコレクションを発表したのは、1978年。この年ジャンニは、ミラノの最もファッショナブルな通りとして知られるスピーガ通りに、最初のブティックをオープンした。
自らのビジネスについて、ジャンニはその成功の大きな要因は家族が経営に関わったことだと考えていた。財務部門は創業時から兄サントが担当し、1978年に母が死去した後には妹のドナテラが、在学していたフィレンツェ大学を中退してミラノに移り、兄たちを支えた。
ジャンニとドナテラは、非常に仲の良いきょうだいだった。兄にとって妹は、女性の視点を提供してくれる存在であり、相談できる相手でもあった。つまり、ドナテラはジャンニに多大な影響を与えていた。
ブランドとしての強固なアイデンティティを築いたヴェルサーチェは、瞬く間に限界を押し広げ、(品がないともいわれるほど)セクシーで、強く主張するブランドとして広く知られるようになった。ブランドのロゴには、そのアイコンとしてふさわしいと考えた、ギリシア神話に登場する怪物、視線だけで男たちを石に変える力を持ったメデューサを選んだ。
ヴェルサーチェの創設以降、ファッショントレンドの多くを生み出したのは、真に先見の明を持っていたジャンニだった。「スーパーモデル」というコンセプトを打ち出したのも、ジャンニだ。