時計

2025.05.26 14:15

フランク ミュラー共同創業者が語る ブランドの現在、過去、未来

天才時計師を支えた名参謀は、ブランド発足から33年を迎えた今、何を考えるのか? 流れる時間を楽しむという哲学は、時計を、そしてライフスタイルを進化させる。


近い将来、時計の歴史を紐解いたとき、ひょっとすると「フランク ミュラー以前、フランク ミュラー以降」に分かれるかもしれない。1970年代後半にジュネーブの時計学校を首席で卒業したフランク・ミュラーは、スイス時計が時代遅れとされていた冬の時代にあってブランドには属さず、貴重なアンティークウォッチの修復やオリジナルウォッチの製作を行っていた。彼はトノウ カーベックスという美しいフォルムのケースやトゥールビヨンなどの複雑機構を用いた腕時計を製作。それは高性能なクオーツウォッチとは違った魅力をもっており、その芸術的な作品によって時計師という仕事に光を当て、また高度な技術でスイス機械式時計の復権を後押しした。

そんな彼の躍進をサポートしたのが、宝飾とケースの製造会社を経営していたヴァルタン・シルマケスだ。彼は顧客であったフランク・ミュラーと共にテクノウォッチ社を設立し、1992年に時計ブランドとして「フランク ミュラー」をスタートさせる。天才時計師とそれを具現化させる名参謀というコンビは、高度なメカニズムと美しいデザインの融合によって、あっという間に時計業界を席巻する。それは新進ブランドであっても、歴史ある高級時計の世界で地位を確立できることを証明した。現在は多くの新進ブランドがあるが、それもフランク ミュラーの功績といえるだろう。

「フランク・ミュラー氏と一緒に仕事を始めたころは、天才的な才能を目の当たりにして、彼と美しい時計をつくりたいという一心でした。やるべきことが多かったですね。なにせ当時は、インターネットもなく、電話とファックスでやりとりするしかなかった時代ですから」と語るヴァルタン・シルマケスは、現在フランク ミュラー ウォッチランド グループの会長を務める。

「今でも私の仕事は素晴らしい時計をつくること。美しく、そしてトゥールビヨンのような高度なメカニズムを搭載することです。しかし若い世代に対しては、自分がもっているものをすべて差し上げるような気持ちがないといけません。もちろんそれは簡単ではありませんが、経営者としては、技術や伝統の継承についても考えなければいけないし、時計以外の新しいテクノロジーに対しても敏感でなければいけない」

なぜ、フランク ミュラーは前進するのか? それは現代の時計ビジネスにおけるフロントランナーであるからだ。

「私たちは常に高級時計のコンペティションの中心にいる。だから私たちはより創造性の高いものを作っていけなければならないと気を引き締めるし、もっとクリエイティブでなければならないのです。そのためにも時計製造の拠点となるウォッチランドは、さらに充実させなければいけない。ジュネーブの郊外にあり、時計師たちは顔を上げれば、美しいレマン湖とその遠方には名峰モンブランが見えます。しかもこの場所は、時計愛好家をいつでも迎え入れることができる。まさにウォッチメイキングの理想郷なのです」

フランク ミュラーのマニュファクチュールの拠点となるのが、ジュネーブの郊外ジャントゥにある「ウォッチランド」。スイスの歴史ある邸宅を中心に、デザインや設計、部品製造、組み立てなどのセクションが収まる建物を配置することで、ハイレベルな時計製造を可能にしている。工房の窓からはレマン湖と名峰モンブランが見えるという美しい景色は、職人にとっても仕事をする上で理想の環境となっている。ちなみに工房内には、なんとチョコレートの製造部門もある。
フランク ミュラーのマニュファクチュールの拠点となるのが、ジュネーブの郊外ジャントゥにある「ウォッチランド」。スイスの歴史ある邸宅を中心に、デザインや設計、部品製造、組み立てなどのセクションが収まる建物を配置することで、ハイレベルな時計製造を可能にしている。工房の窓からはレマン湖と名峰モンブランが見えるという美しい景色は、職人にとっても仕事をする上で理想の環境となっている。ちなみに工房内には、なんとチョコレートの製造部門もある。
ウォッチランド内にあるトゥールビヨン工房は、美しい時計が生まれる場所。職人たちは、独創的な複雑機構によって創造性を追求している。
ウォッチランド内にあるトゥールビヨン工房は、美しい時計が生まれる場所。職人たちは、独創的な複雑機構によって創造性を追求している。
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direction by Akira Shimada | text by Tetsuo Shinoda

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